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ジョージ・ハリスンの遺産「300億円」なのに「内助の姉」は一文無しの不条理

ジョージ・ハリスンの遺産「300億円」なのに「内助の姉」は一文無しの不条理


【岡田敏一のエンタメよもやま話】

先月、11年ぶりの日本ツアーを11日の大阪公演からスタートさせた元ビートルズのポール・マッカートニーさん(71)。公演内容が素晴らしかったのは言うまでもありませんが、1966年のビートルズ初来日時を思わせるはっぴ姿で関西国際空港に降り立った際には、ファン約1000人が空港に詰めかけるなど、大変な盛り上がりを見せました。

しかし今、欧米では、ポールではなく、もう1人の元ビートルズに関する話題で大いに盛り上がっています。

11月26日付英紙デーリー・メール(電子版)など、欧米メディアが一斉に報じていますが、故ジョージ・ハリスンさんのお姉さんのルイーズさん(82)が、弟の巨額の遺産を全くもらわず、米国の片田舎でほとんど一文無しのような生活をしていることが分かったのです。

ビートルズのリードギター奏者だったジョージさんは、1943年2月25日、ビートルズ誕生の地で知られる英国の港町リバプールの郊外で、4人兄弟の末っ子として生まれました。父親は元船乗りのバス運転手、母親はアイルランド系カトリック教徒のショップ店員で、ハリーさんとピーターさんという2人の兄、そして姉のルイーズさん、ジョージさんという6人家族でした。

学校でもぽつんと隅っこに1人で座っていたような内気な少年でしたが、米歌手エルビス・プレスリーの“ロックンロール”に衝撃を受け、ギターを手にし、ロック・ミュージシャンの道を目指しますが、これには母親の影響が大きかったと思われます。

なぜなら、彼女は大の音楽ファンで、彼がお腹にいるときからずっと「ラジオインド」(なぜインド音楽?)を聞いていただけでなく、彼の伝記作家によると「彼女は子宮内の赤ちゃんが平和や平穏さを感じられるようにと、毎週日曜日、インドのシタールの調べといった神秘的な音楽を聴かせる胎教の集いに通っていた」そうです。

ジョージさんがビートルズ時代、インドの音楽や精神世界に傾注し、名シタール奏者ラヴィ・シャンカール(あのノラ・ジョーンズのお父さんですよ)を師と仰いだのは、この胎教の影響でしょうか…。

そして1950年代中頃、通学中のバスの中でポール・マッカートニーと出会い、ジョン・レノンのバンド、クオリーメンに参加。その後、紆余(うよ)曲折を経てビートルズが誕生。1962年10月、シングル「ラヴ・ミー・ドゥ」にデビューを果たします。

4人のメンバー中、最年少だったジョージさんですが、ビートルズでは中期以降、ソングライターとしての才能を開花させ、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」(68年、ギター・ソロは親友エリック・クラプトンが演奏)や「サムシング」(69年)、「ヒア・カムズ・ザ・サン」(69年)といった名曲を世に送り出しました。

70年4月にポールが脱退し、事実上、ビートルズが解散したのを機に、ソロ活動を活発化。LPで3枚組という大作「オール・シングス・マスト・パス」(70年)は英米双方のアルバムチャートで7週連続1位となる爆発ヒットを記録。シングル「マイ・スウィート・ロード」(70年)も米英両チャートで連続1位となり、“元ビートルズ”という冠が必要ないほどの成功を収めます。

翌年の71年8月には、シタールの師だったラヴィ・シャンカールの要請で、ロック界初の大規模チャリティー公演「バングラデシュ・コンサート」を米ニューヨークで開催。旧友エリック・クラプトンやボブ・ディラン、レオン・ラッセルなどが参加し、大成功を収めました。

私生活ではクラプトンと交際するようになった妻のパティ・ボイドと77年に離婚。仕事で出会ったメキシコ系アメリカ人女性オリヴィア・トリニアード・アリアス(オリヴィア・ハリスン)さんと78年に再婚し、この年に一人息子のダーニさんをもうけています。

余談ですが、クラプトンの名曲「いとしのレイラ」(72年)はパティ・ボイドのことを歌った楽曲で、クラプトンはボイドをジョージさんから略奪したのは有名なお話です。

さらに副業で始めた映画プロデュース業でも成功を収め、80年代初期~中期には音楽業界から距離を置きますが、90年代からは再び音楽活動に注力。91年には盟友エリック・クラプトンとのジョイント来日公演も大成功させました。

しかし2001年11月29日、肺がんのため米ロサンゼルスで亡くなりました。58歳でした。

さて、ここからが本題なのですが、彼が亡くなった際、遺産が3億ドル(約300億円)あったといいます。

未亡人のオリビアさん(65)とダーニさん(35)には、この巨額の遺産のほか、彼が70年に購入したビクトリア調のお城のような大邸宅(何と部屋数は120室)で、ロンドン郊外ヘンリーオンテムズに建つ「フライアー・パーク」が残されました。ちなみに現在の資産価値は最低でも約4000万ドル(約40億円)だそうです。

ところがルイーズさんは米中西部ミズーリ州南部の人口約6000人の田舎街ブランソンの近くの1ベッドルームの小さな家に1人で暮らしているのです。

ルイーズさんは約50年前に渡米。ブランソンは音楽が盛んな街で知られることから、日々、ビートルズのトリビュート・バンド(そっくりさんバンド)のマネジャーとして奮闘。時にはツアーに出て、ビートルズの楽曲で大勢の人々を楽しませているといいます。

ルイーズさんには80年から、毎月2000ドル(約20万円)が年金の形で支払われていました。払っていたのは弟のジョージ・ハリスンさんです。

ルイーズさんはデーリー・メール紙に「支払いは弟の意志でした。弟はこう言っていました『僕の懐具合を考えれば、姉の求めに応じないという理由は存在しない』と」

ところが何と、この毎月の支払い2000ドルも10年前からカットされているそうです。全く意味がわかりませんね。ジョージさんの遺産は“お城”だけではありません。オーストラリアのハミルトン島やハワイのマウイ島に多くの高級不動産があるほか、毎年、楽曲の巨額印税が入ってきているはずです。

しかしルイーズさんは泣き言は言いません。「私は支払いのカットについては全く気にしていません。生計を立てる手段は見つけていますから。それに誰からも非難されるような生き方はしていません。自立していますよ」と、全く気にしてはいないと強調。

さらに「みんなと同じように、私もお金には苦労していますが、配給のパンの施しを受けたり、英国でいうところの“Skint”(一文無し)という状態ではありません。むしろ(弟のジョージがくれた)この家に住め、とても幸運な立場にあると思っていますし、裕福でも心のないお城暮らしになど、ちっとも憧れてはいません」と答えています。

ガーディアン紙によると、ルイーズさんは1950年代、スコットランド人の鉱山技術者、ゴードン・カルドウェルさんと結婚して米イリノイ州に引っ越し、2人の子供をもうけたといいます。

その後、62年に弟のバンド、ビートルズが英国でデビューしますが、彼らが世界的大スターの地位を獲得するきっかけとなった米国制覇を大成功に導いたのも実はルイーズさんでした。

ルイーズさんは、弟のバンドを米国でも人気者にしようと、イリノイ州内のあらゆる街のラジオ局に出向き、DJにビートルズの楽曲をオンエアしてほしいと売り込みに回りました。

その熱意が実り、翌63年6月、イリノイ州のラジオ局から彼らの楽曲「フロム・ミー・トゥー・ユー」が流れました。これは米国のラジオ局が初めてオンエアした彼らの楽曲で、これを機に全米でもビートルズが社会現象化するほどの人気を獲得するのです。

「私は弟の助けになることなら何でもしました」とルイーズさん。実際、ジョージさんも63年、ルイーズさんの家で2週間過ごしたといいます。

彼女はいまも、彼女の尽力への感謝の意をしたためたブライアン・エスプタイン(バンドの有名なマネジャー)からの手紙を保存しています。

60年代~70年代、2人は親密な関係でしたが、90年代から疎遠になり、ルイーズさんはジョージさんとも、その家族らとも接触しなくなりました。

その後、ジョージさんが亡くなるまで入院していた米ニューヨーク州のスタテン島の病院でオリビアさんとその姉のリンダさん、そしてキーダさんと再会しましたが、それ以降、現在も彼女らとは接触を断ったままだそうです。

死の直前、ジョージさんはルイーズさんに「僕は姉さんのことをもっと助けられたと思う。本当にすまない」と謝罪したそうです。

エンターテインメント業界の金にまつわる汚い話は世界中に転がっていますが、さすがにこれは酷(ひど)すぎます。ジョージさんを巡る巨額のお金の動きは、われわれ外部のものには到底うかがい知れませんが、何だかあまりにも釈然としない話なので、紹介した次第です…。(岡田敏一)

(c)産経iza http://www.iza.ne.jp/kiji/entertainments/news/131215/ent13121512520005-n5.html

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